京の夏の、終わりを告げる―

2024年8月16日(金) 19:00からオンエアの、KBS京都テレビ「生中継!京都五山送り火中継2024」についての情報は番組ページをご覧ください。

五山送り火ライブストリーミング

ライブストリーミングは終了しました。ただいまアーカイブ配信をご覧いただけます。

2024年8月16日(金)に「五山送り火」Youtubeライブストリーミングを実施します。配信は当日17:30頃から開始予定で、「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」を定点カメラにてお届けします。天候により変更の可能性がありますので予めご了承ください。KBS京都テレビでは、16日(水) 19:00から「生中継!京都五山送り火2024」をオンエアします。そちらもぜひご覧ください。

※このYoutubeライブストリーミングと、テレビのオンエア内容は異なります。(サイマル放送ではありません。)

8月16日夜、夏の夜空にくっきりと浮かび上がる、「五山の送り火」は京の夏の終わりを告げる風物詩として全国的にも有名です。

送り火の前につく、「五山」は東山如意ヶ嶽の「大文字」がもっともよく知られ、ほかに松ヶ崎西山・東山の「妙・法」、西賀茂船山の「船形」、金閣寺付近大北山(大文字山)の「左大文字」及び嵯峨仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山)の「鳥居形」の五つを指します。(以前には「い」(市原野)、「一」(鳴滝)、「竹の先に鈴」(西山)、「蛇」(北嵯峨)、「長刀」(観音寺村)なども点火されていたが、早く途絶えたといわれています。)京を彩るスケールの大きいこの行事の歴史について、それぞれに俗説はありますが確実なものはわかっていません。

送り火そのものは、再び冥府(冥府・死後の世界)に帰る精霊を送るという意味をもつ盆行事の一形態で、この行事が一般に広く行われるようになったのは、仏教が庶民の間に深く浸透した中世-室町時代以降であるといわれています。記録を紐解くと、慶長8年(1603)公家舟橋秀賢の日記『慶長日件録』7月16日条に、「晩に及び冷泉亭に行く、山々灯を焼く、見物に東河原に出でおわんぬ」という記述が初めて見られ、「山々灯を焼く」とあるのが鴨の河原から見られる大文字などの送り火であったと考えられています。

五山のそれぞれにそれぞれの歴史が伝えられていて、今日ではどれ一つとして明らかではないのが事実ですが、この「五山送り火」が時の権力者によって創始されたのではなく、地元の人々の信仰によって始められ、受け継がれてきたからこそ、それが記録にとどめられなかったのではないでしょうか。現在の「五山送り火」も各山の保存会が中心となって、市民や学生ボランティアのみなさんが数百年の歴史を支えつづけています。

なお、京都市では、京都市文化財保護条例に基づき、「大文字送り火」、「松ヶ崎妙法送り火」、「船形万燈籠送り火」、「左大文字送り火」、及び「鳥居形松明送り火」の五山送り火を昭和58年6月1日に京都市登録無形民俗文化財としています。

大文字送り火

点火 20:00

東山・如意ヶ嶽の「大文字送り火」。8月15日の正午ごろから16日昼ごろにかけ、ふもとの銀閣寺山門前に設けられた受付で一般市民によって護摩木(割木)に先祖供養や生存する人の無病息災が記される。この護摩木は送り火の点火資材として当日山上へ運ばれ、当夜7時から山上の弘法大師堂でお灯明がともされ浄土院(大文字寺)住職及び保存会員並びに参詣者等の有志により般若心経があげられる。その後、このお灯明を親火に移し、合図により一斉に送り火が点火される。

はじまり

送り火の代表格といわれている「大文字」のはじまりは平安初期・室町中期・江戸初期・その他と複数の説があると言われているが、最も注目されるのは江戸初期だと言われる。また、地元では銀閣寺から発見された古文書により室町中期に始められたという説も根強い。

点火資材

薪は松割木を使用し井桁で高さ約1.3mに積み重ね、その間に松葉を入れる。そのまわりを麦ワラで囲う。
薪数600束 松葉100束 麦ワラ100束

所在地

京都市左京区浄土寺七廻り町1

松ヶ崎妙法送り火

点火 20:05

松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙・法」送り火。16日朝早くから割木を山に運んで点火準備が行われる。以前は麓の田に火小屋があり、その火を合図に点火が行われていたが、現在は簡易保険局の屋上からの合図によって点火が行われる。点火の際には涌泉寺住職および松ヶ崎立正会会長による読経が行われる。

はじまり

寛文2年(1662)に刊行された『案内者』に「山々の送り火、但し雨ふればのぶるなり。・・・・・松ヶ崎には妙法の2字を火にともす」とあり、寛文2年以前の創始にかかることは明らかだが、正確な年代は不明。湧泉寺の寺伝によれば、鎌倉末の徳治2年(1307)日像の教化によって天台宗から法華宗に改宗した際、日像が西山に妙の字をかいて点火したものだといい、法の字は、湧泉寺の末寺下賀茂大妙寺ニ祖日良が東山に書いたことがはじまりという。

点火資材

薪は松割木を使用。井桁で約1mに積み重ねる。
薪数332束 松葉166束

所在地

【妙】京都市左京区松ヶ崎西山 (万灯籠山)
【法】京都市左京区松ヶ崎東山 (大黒天山)

船形万燈籠送り火

点火 20:10

京都は西賀茂にある「船形」。ここでは現在3ヶ所55軒の旧家により、18人の若中(17~25歳の男子)、36人の中老及び年寄約50人が送り火行事にたずさわる。16日朝早くから若中と中老が割木を山に運んで点火の準備が行われる。点火時刻には西方寺で鳴らす鐘を合図に点火する。山上の送り火が点火されると山麓では西方寺住職の読経が行われ、このことからこの山を一名鐘打山とも呼ばれる。

はじまり

西方寺開祖慈覚大師円仁が、承和14年(847)唐留学の帰路暴風雨にあい、南無阿弥陀仏と名号を唱えたので無事帰朝できたことから、その船を形どって万燈籠送り火をはじめたと伝えているが、正確な時期は不明。

点火資材

薪は松割木を使用。井桁で約1mに積み重ねる。
薪数400束 松葉130束

所在地

京都市北区西賀茂船山

左大文字送り火

点火 20:15

京都市北区にある「左大文字」。15日と16日の午前中、金閣寺の前に設けられた志納所で護摩木の志納受付が行われる。午後7時ごろに衣笠街道町・法音寺門前通り25ヶ所で門火の送り火を焚き、先祖の霊を導く。この寺では送り火の親火点火台で護摩木が焚かれ、先祖の霊を慰める法要が行われる。その火で親火松明1基と手松明(約40本)が山上へ運ばれ、山上の送り火が点火される。

はじまり

左大文字の始まりについては他の四山と同様に判然としないが、『洛陽名所集』(万治元年1658)には記載はなく『扶桑京華志』(寛文5年1665)には記載されていることから、江戸中期に始まったとみられる。

点火資材

薪は松割木を使用。井桁で約1mに積み重ねる。
薪数400束 護摩木3,000本束

所在地

京都市北区大北山鏡石町1-1

鳥居形松明送り火

点火 20:20

京都市右京区嵯峨の「鳥居形」。16日午前8時ごろ、山麓から山上の親火床へ松明が運ばれ、午後4時ごろ再び山上へ上がり親火床に使う薪を作り点火の準備が行われる。午後6時ごろには親火に点火し松明をあぶってジン(松の根の部分)をふかしながら燃えないように監視し、午後8時20分の点火合図である太鼓の音を待つ。

はじまり

鳥居形は弘法大師が石仏千体をきざんでその開眼供養を営んだとき点火されたといわれている。正確な時期は不明。

点火資材

薪は松明(ジンを小割にして束にしたもの)108束を使用する。

所在地

京都市右京区嵯峨鳥居本一華表町