治安が徹底していなければならない宮廷の正殿で、首吊りした従事官の死体が発見された!これは単純な自殺か、それとも明の使臣たちによる計略的殺人事件なのか?
さまざまな憶測が飛び交う中、死体から徐々に浮かび上がる一つの句。
「汝守王才乎-そなたは王制を守れるか?」
その瞬間、自分たちが事件の方向性を見失ったことに気づいたファンヒは、世子である譲寧の行方を探しさ迷う…。
宮廷の正殿で、従事官の首吊り死体が発見された。他殺だと判断したファンヒは、事件について調べる。すると死体には1つのメッセージが。「そなたは王材を守れるか」。
ファンヒは急いで東宮殿にいる世子である 譲寧(ヤンニョン)大君の安否を確認する。やがて、譲寧大君の無事は確認、しかし、後の世宗大王である忠寧(チュンニョン)大君の行方がわからなくっていた…。
高麗王族の生き残り、オク・ファンに救われた忠寧は、屋敷に戻らず世間見物に出る。王子は、暮らしに不満を持つ民が、勅使ファン・オムが滞在する太平館を襲撃するのを目撃する。父(太宗)が本当に民を幸せにしているか疑問に思った忠寧は、王の失政を非難する意味を持つ申聞鼓(シンムンゴ)を叩き始める。
王朝と国の安定のため、そして忠寧大君に王子としての立場を自覚させるために、太宗は自身を批判した民衆を拷問にかけ、忠寧大君の内官であるチャンウォンを鞭打ちの刑にする。それでも臣下からの批判は収まらず、忠寧大君を幽閉すべきとの声が上がる。忠寧大君を救う道として、太宗は忠寧大君に帝王学を学ばせることを決意する。一方で、自身の未熟さを悟った忠寧大君は、王子として静かに生きてゆくことを誓う。
危機に陥った忠寧を助けるため、太宗は王位を讓寧に譲る。予想外の太宗の行動に右往左往する家臣たち。自分の存在が争いの種になる事実に心を痛めた忠寧は、遠地へ旅立つことを決意する。だがその夜、世子である讓寧を誹謗する怪文書が町に貼り付けられ、忠寧はその犯人として捕らえられてしまう。
世子である譲寧を誹謗する文を書いたとの濡れ衣を着せられた忠寧。あわや世子の刃によって殺されるかと思われたが、世子は前日、ファンヒから真相を聞いていたので、刃の矛先は母・元敬王后の弟である閔無咎・無疾に向けられた。叔父を告発した世子は良心の呵責にさいなまれながらも自らの信念を通す。
太宗の兄である定宗の愛人・楚宮粧に手を出そうとする世子。弟の孝寧と忠寧が世子の乱行を心配する中、定宗は王族を集め宴を開く。夜空に花火が上がり、朝鮮はいつになく太平の世を迎えたかに思えた。しかし平和もつかの間、トンレヒョンに倭寇が出没する。報告を受けた太宗は至急鎮圧に向かい、康寧浦の海岸で倭寇と朝鮮軍の激しい白兵戦が起きる。
戦勝に意気揚となる世子だが、カンニョンポでは、役人たちの搾取により農民たちが苦しんでいた。実態を知った忠寧大君だが、政治に関心を持たないとの決意から、世子への進言を思いとどまる。やりきれずに酒に逃げる忠寧大君だが、師匠であるイ・スに再び諭され、熟慮の末、世子の元へ乗り込んでいく。一方で、ファンヒもカンニョンポで何かが起きていることに気づく…。
朝鮮随一の火薬技術者チェ・ヘサンが倭国の間者に拉致された。国の重要な技術が国外流出の危機にさらされても、家臣らの腰は重い。見かねた忠寧は世子にチェの捜索を申し出る。世子は弟の忠誠心を試すためにそれを許可し、忠寧は見事チェの救出に成功する。
火薬の開発を進める役所の設立を推し進めようとする世子は、自らの住む東宮殿だけでなく、定宗の予算まで火薬開発に回そうとする。忠寧は、民を危険にさらす武器を開発するより、敵である倭寇についてもっと知るべきだと主張。宮中の書庫にある書物を苦労して手に入れ、資料をまとめる。一方、世子は定宗の愛人を東宮殿に呼び、関係を持とうとする。
定宗の愛人・楚宮粧との情事の最中、正室に踏み込まれる世子。太宗が来ていると聞き慌てて楚宮粧を逃がす。一方、太宗は号牌法を宣言。ファシズムに近いこの宣布に、成均館の多くの儒生(儒教の研究者)と国民が異議を唱える。儒生と世子はこの政策に反対し、密かに集会を持つ。カン・サンインは彼らを逆徒と見なし検挙しようとするが、この集会には忠寧も参加していた。政治的混乱にあえぐ朝鮮を襲う外交的危機。明の勅使、ファン・オムは倭国征伐のため多大な兵力を要求してくる。
世子の反発に怒った明は、さらに多くの軍備献上を要求し、いやならば世子を人質に出せと要求してくる。意思を曲げない世子は、儒生たちを引き連れて太平館(明の使臣の宿泊所)前で座り込みをする。民衆は世子を支持するが、明との戦争を避けたい太宗は、軍に命じて世子たちを強制退去させ、世子を幽閉する。ユン・フェに「他にも方法がある」と示唆された忠寧大君は、明と手を結ぶ方法に気づき、太宗に、世子を明に人質として出せと進言する。一方、騒動に乗じて動き出した高麗復興勢力は、ダヨンの父に近づいてゆく。
世子の幽閉に激しく反発する民と官吏たち。抗議行動を起こした彼らを、太宗は兵力で弾圧する。また、明に情報を流した者を血眼になって探し、明への使者だった官吏らを間者として捕らえる。忠寧は内政の混乱を収め、明も満足させる妙案を太宗に忠言し、それを太宗は聞き入れる。
幽閉された世子は、父である太宗が自分を明に送ろうとしていることを知り、逃げようとするが、弟の孝寧(ヒョニョン)大君に捕まってしまう。定宗は孝寧を世子にすることを企み、側室の子である敬寧(キョンニョン)も世子の座を虎視眈々と狙う。元敬王后(太宗の正妃)は息子である世子を救うため、明の勅使ファン・オムを毒殺する決意をする。
ユンフェの計らいで明の勅使ファン・オムは毒殺されずにすんだ。幽閉から解かれた世子は、太宗から明に行くよう説得され承諾。一方、高麗の末裔軍に加わったダヨンの父とヨンシル。ヨンシルは火薬を作る技術を軍に披露する。高麗の末裔軍は明の使者がいる太平館を襲撃するが、ダヨンの父は陰で宮廷の重臣と手を組んでおり、襲撃は鎮圧される。しかし、ファン・オムは何者かに連れ去られてしまう。
ハン・ヨンロの告発で太平館を襲った逆徒の高麗末裔は一網打尽となる。高麗末裔が城内で活動していることを知った太宗は、首謀者ワン・アンを拷問し黒幕を吐かせようとするもワン・アンは自害する。襲撃の夜、姿を消した明の勅使、ファン・オムは、忠寧の計らいで妹と再会する。太平館に戻り朝鮮との交渉を再開すると告げる勅使。朝鮮側から3年のうちに倭国を倒すとの約束を受け、ファン・オムは明の皇帝に差し出す人質を用意するならと譲歩。両国の交渉は無事成立する。
明との交渉は妥結するが、勅使の「世子に代わる立派な王子がいる」という一言に、朝廷内の権力争いに微妙な波が立つ。忠寧(チュンニョン)大君に邪魔をされたと感じた世子は忠寧を責め、「国力の現実を見ろ」と世子に迫る。後継者争いの不穏な空気が流ることを避けたい太宗は、「世子を改める」と決意するが…。
世継ぎの座を奪われたくない譲寧(ヤンニョン)は、太宗の言いつけに従い公衆の前で罪を認める。太宗は再び讓寧を世子として認定するが、自尊心を傷つけられた彼の心には怒りの炎がくすぶり、忠寧(チュンニョン)とも衝突する。一方、定宗(チョンジョン)の愛人・楚宮粧(チョグンジャン)は讓寧と密通していた。ある日、2人が抱き合っているところを定宗に目撃され…。
譲寧(ヤンニョン)と定宗(国王の兄)の愛人・楚宮粧(チョグンサン)の関係が上王に見つかってしまう。兄である譲寧を心配し、ひたすら上王に謝る忠寧(チュンニョン)に対し、上王は「譲寧の身代わりになれるか」と聞く。そして忠寧は兄をかばう決意をする。一方、次男の孝寧(ヒョニョン)も上王を訪ね、世子の悪事を太宗に告発するよう進言する。
讓寧(ヤンニョン)大君と定宗(国王の兄)の愛人・楚宮粧(チョグンサン)との関係を知った重臣たちは衝撃を受ける。一方、讓寧を守るため、讓寧の叔父たちは、忠寧(チュンニョン)大君の屋敷にかくまわれている楚宮粧を消すことを主張。しかし讓寧は、忠寧が王権を奪おうとするはずがないと説得するのだった。
敬寧(キョンニョン)君とダヨンを結婚させようとした王妃の計画は、ヒョビンたちによって阻止される。また、高麗復興勢力は、勢力の一部が王宮に潜入していることを知らせた上でファン・ヒ(秘書室長)を解放するのだった。奴婢の身分回復事業に奔走する忠寧(チュンニョン)を、儒生や役人たちが続々と支持し始める一方、遼東出兵命令を儒生たちに拒絶された世子は1人になってゆく。兄弟間の権力抗争を避けたい王妃は、太宗に忠寧を遠地に幽閉するように迫るのだった…。
忠寧(チュンニョン)が王の器だと騒がれる中、讓寧(ヤンニョン)はファン・ヒを師匠にする。ファン・ヒの指導のもと、太子は講武場の建設を遅らせるなどの政策を打ち出す。太子の勢いに不安を覚えるヒョビンたち。それぞれの切り札を手に、2人の政治生命を懸けた争いは次第に激しくなるのだった。
讓寧(ヤンニョン)と楚宮粧(チョグンジャン)の関係を描いたビラが町中に貼られ、世継ぎの醜聞が朝廷を揺るがす。騒動を収めたい太宗(テジョン)は、楚宮粧の殺害を命じるが忠寧(チュンニョン)は楚宮粧をかばい、讓寧を助けようとする。ダヨンはヨンシルの命を助けるため、皇帝の妾として明へ行く。太宗は忠寧を呼び出し、楚宮粧を差し出すよう命じるが、忠寧は彼女をかばい取引を申し出る。
譲寧(ヤンニョン)と楚宮粧(チョグンサン)の関係を明らかにするよう座り込む役人たちの声を抑えるために、忠寧(チュンニョン)は太宗(テジョン)に鞠応(裁判)を開くよう要求する。譲寧が王世子の座から追われることを恐れる太宗に対し、忠寧は事実を明らかにすることで譲寧を救うことができると太宗を説得。太宗は裁判を開くことを決めるが、その夜、忠寧は楚宮粧の元を訪れ偽証するように頼む。
讓寧(ヤンニョン)に講武への参加を禁じるも、他の王子たちには参加を命じる太宗(テジョン)。だが、忠寧(チュンニョン)は王の命に反し、参加しないと言い出す。師匠イ・スに兄に勝てないのが怖いのだろうと指摘された忠寧は、悩んだ末、敬寧(キョンニョン)に矢の手解きを頼む。そんな中、ついに忠寧に初めての子が生まれた。子供に渡す贈り物を手に屋敷へ急ぐ忠寧の胸を、オク・ファンの手下が放った矢が貫く。
撃たれた忠寧(チュンニョン)だが、命は無事だった。忠寧たちは犯人を明らかにしようと捜査を開始するが、高麗復興勢力たちによる「世子を黒幕としたミン一族の犯行」という構図ができあがる。誰からも信じてもらえない世子を唯一ファン・フィだけが信じた。結局、世子は事件と無関係と分かり、忠寧たちは、銃を作ったヨンシルにたどりつく。怒った忠寧は、ヨンシルの左腕を切り落とそうとする。
銃の製造者がヨンシルであることを突き止めた忠寧(チュンニョン)は、彼の腕を切り落とそうとするが、反対に師匠らにきつく咎められる。ヨンシルの才能を認め、重用することにした。首謀者オク・ファンは都からすでに逃亡。一味のチョン・ヘンスだけが捕らわれる。忠寧は彼の話を聞こうと牢屋を訪ね、こっそりヘンスに会いに来ていたチョン・イルジと鉢合わせする。
高麗の復活勢力に対し、強硬に対応する太宗(テジョン)。オク・ファンの商団に賦役していただけで反軍とはまったく関係のない民衆まで処刑されていった。これに対してオク・ファンは城内のいたるところに太宗の首を切るという宣伝文をばら撒く。
罪のない民衆が犠牲になる様子を見ていられない忠寧(チュンニョン)はオク・ファンに話し合いを持ちかける。
忠寧(チュンニョン)大君は処刑を拒否。その様子を見ていた高麗勢力のムビが攻撃を開始し、チョン行首の救出を図るが、チョンは自ら命を絶つ。王に「なぜ逆徒を斬らないか」と聞かれた忠寧は「武力で民を制圧するしかない国なら、王子の座を降りる」と発言。王の怒りを買い、北三道(プクサムド)行きを命じられる。オク・ファンは革命軍を解散させようとするが、同志たちの志に打たれ、最期の決戦を決断する。チョン・イルチは秘密裏にジャチを訪ね、忠寧宛ての文を渡す。
高麗復興勢力の攻撃が始まり王宮内の秘密通路からチョン・イルジたちが進入。王の寝殿に迫ろうとした直前で、忠寧(チュンニョン)が立ちはだかる。最後にオク・ファンが王宮に現れ、復興勢力の敗北を認め、自害する。太宗(テジョン)は人事、軍事、外交分野以外の政治を世子へ代行させると発表。早速新しい朝廷人事が組まれ、遼東征伐と領土回復を目論む世子たち。軍器監イ・チョンを国境の村、鏡城に派遣するがそこには忠寧がいた。
国境の村、鏡城は女真族と対峙していた。世子は、それまで地方でのみ許されていた私有地を全国に拡大し、土地の売買によって軍資金を調達しようとする。また同時に、敬寧(キョンニョン)君を王宮の外に追い出してしまう。世子と王妃への憎悪を一層強くしたヒョビンは、かつて敬寧を殺そうとした乳母を王宮に連行させる。乳母は、太宗(テジョン)の前で王妃に指示されたことだったと証言する。一方、忠寧(チュンニョン)は雑念を振り払い生きようともがいていた。
敬寧(キョンニョン)の殺害を命じたのは王妃だった。その事実がバレても王妃は開き直り、太宗(テジョン)に謝罪すらしない。自分の側近を攻撃するヒョビンに対し、怒りを抑えられない譲寧(ヤンニョン)。ファン・ヒの忠告も聞かず、彼女に警告するよう太宗に迫る。王妃の“廃妃論”まで流れる中、ついに太宗は決断を下す。
信じていた叔父の裏切りを知り、誰も信じられなくなった譲寧(ヤンニョン)。何一つ思うとおりにならないことに苛立ちを感じる譲寧は土地私有制を撤廃するという姿勢を崩さず、重臣たちと対立。一方、北方の鏡城に派遣された官吏イ・チョンは女真族に対して懐柔策をとるチェ・ユンドクが理解できない。ついにチェ・ユンドクは罷免され、女真族は朝廷に対し宣戦布告する。
女真族が忠寧(チュンニョン)大君の住む京城を襲った。重臣たちは、女真族征伐を主張する譲寧(ヤンニョン)世子が初めから討伐を目的に女真族を挑発したのではと疑惑を抱く。一方、忠寧大君は戦火にさらされる京城から避難するのを拒否。太宗(テジョン)は王子が謀反を謀っているのではと案じ、領相ユ・ジョンヒョンを調査官として京城に送るが、忠寧大君は謀反を謀っているわけではなかった。そこで領相は忠寧大君を逆徒に仕立て上げようとした罪でイ・チョンを斬首にしようとする。
世子が火筒軍を北方へ送った目的は、国境の警備強化ではなく女真族を征伐するためだった。調査官が戻り事実が明るみに出ることを恐れる世子。一方、オリは世子の子を身ごもる。日陰で愛人として生きることに嫌気が差し、世子を失脚させることで自分だけのものにしようと企む。世子は心労で倒れた王妃の療養を理由に太宗(テジョン)を温泉に行かせて都から離れるように画策する。そして、自ら兵を率いて女真族の征伐へ向かった。
王の留守に乗じて世子は女真征伐に向かう。朝廷は大騒ぎになり、征伐の事実を知ったファン・ヒは世子を説得するが、世子には届かなかった。頑なな態度の世子に、ファン・ヒは同行を申し出る。世子の出陣を知った太宗(テジョン)は、加担したイ・スクボンらを捕らえる。世子の進軍が続くなか、チェ・ユンドクたちは、民を守るべく世子に背く決心をする。その思いを知った忠寧(チュンニョン)大君は、世子の軍の道に立ちはだかり「軍を引き返さなければ、世子の座を奪うやもしれません」と世子に告げる。
鏡城に現れた世子を出迎えた忠寧(チュンニョン)大君は、軍の撤収を要求。さもなくば世子の地位を奪うと言われた世子は、部下に「逆徒を斬れ」と命じるが、忠寧は「世子こそが朝鮮の逆徒」だと応酬する。兵士が武器を放棄したため、世子は敗北を認めて都へ戻る。一連の世子の行動に、役人たちが一斉に反発。世子の罪を問う上訴が届くが、世子を守りたい王は無視。ついに閣議で領議政(宰相)ユ・ジョンヒョンが「長子ではなく賢者を選ぶべきだ」と発言し…。
忠寧(チュンニョン)を呼び出し、世子になる意志があるかどうかを確認する太宗(テジョン)に対し、忠寧は積極的な意思表明をする。それを聞いた母ミン氏は激怒し、親子の縁を切ると宣言。忠寧の意志を確認した太宗だが、譲寧(ヤンニョン)を思う親心から容易に廃位を決断できない。そんな中、誠寧(ソンニョン)大君が天然痘で逝去する。政局が混乱の最中にまた1つの誹謗文が城内に貼られる。
東宮殿にオリを引き入れた譲寧(ヤンニョン)は、太宗(テジョン)に世子妃を廃しオリを妃にすると宣言。怒った太宗は世子を宮殿から追い出す。何者かが貼りつけた告発文によりこのことは重臣たちにも知れ渡るが、実は告発文を貼ったのは譲寧その人。大宗の自分に対する執着を捨てさせ、忠寧(チュンニョン)大君を世子の座に就かせるためだった。孝寧(ヒョリョン)王子もまた、世子の座を拒否し、太宗はついに忠寧大君を世子に任命する。
世子としての忠寧(チュンニョン)大君の生活が始まるが、その頃、都ではひどい旱魃が続いていた。民衆は、世子を代えたことの天罰だと批判する。批判を避けるため、世子が雨乞いの儀式を行うべきとの声が上がるが、儀式をしても雨が降らなければ世子の立場は完全になくなる。雨を降らせる方法を見つけようと、書物をあさり過労で倒れた世子に、太宗(テジョン)は「逃げるな。強くなれ」と諭す。そして、王としての証である玉璽を手渡す。
太宗(テジョン)は忠寧(チュンニョン)に王位を譲ることを宣言する。忠寧や重臣はこぞって反対するが、太宗の意志は固く、新王が30才になるまでは上王として政治に関わることを約束して忠寧を即位させる。忠寧は第4代王・世宗(セジョン)となる。世宗が即位するやいなや、太宗は対馬征伐を計画。世宗は若く有望な儒生たちを採用し、集賢殿を設立する。
対馬に関する情報を集める世宗(セジョン)に対し、軍務は太宗(テジョン)の仕事だと反対する家臣たち。それでも世宗は情報収集を強行する。太宗は対馬へ事実上の宣戦布告をし、征伐に反対する世宗との間で、宮中にも不穏な空気が流れる。一方、明の使者は世宗の即位を認めず、明を無視した譲位を問題視する。これを解決するため、世宗はシム・オンを領議政に命じ、明へ使者として派遣する。
対馬に宣戦布告をする太宗(テジョン)。しかし世宗(セジョン)は話し合いで解決する余地があるとし、東来に調査官としてユン・フェを送り込む。ユン・フェの後をつけた兵曹参判カン・サンインは、朝鮮の軍事機密を盗んだ倭人の間者を発見する。罪なき倭人が犠牲になるのを防ぐため、カン・サンインはこれを上王・太宗でなく世宗に報告し、太宗に逆徒として捕らえられてしまう。太宗はこの件の首謀者を世宗の義父(シム・オン)にさせるため、カン・サンインを拷問し自白を強要。世宗には強い王になって臣下を服従させろと忠告する。
太宗(テジョン)による粛清が続いていた。太宗は世宗(セジョン)に義父シム・オンを捕らえるよう命じる。苦悩の末、義父の逮捕状に署名する世宗。忠臣たちは、次は誰が粛清されるのか、戦々恐々となる。ショックを受ける王妃に、シム・オンを救うために明に向かうと言うイソン。しかし、シム・オンは罪人としての帰国を決意し、逆にイソンは捕らえられる。イソンの行動を問題視した役人たちは、王妃を廃位すべきと声高に叫びだす。世宗は決断を迫られる。
シム・オンの娘、昭憲(ソホン)王后の廃位を求める臣下の声は日増しに大きくなる。苦悩の日々が続く世宗(セジョン)に対し、中軍の長チェ・ユンドクらは、世宗のためなら自分の配下を動かすと申し出る。世宗は、「祖父を倒した父が今は理解できる。自分はどこに刀を向けるべきか」と直接上王・太宗(テジョン)に問いかける。そして、粛清はシム・オンで終わりにする約束を取り付けるのだった。一方、昭憲王后は父を守るために自ら廃位を決意するが、世宗は国母であることを望み…。
突然の倭寇の挑発に激怒する太宗(テジョン)。にわかに倭寇征伐準備に拍車がかかりはじめる。世宗(セジョン)は征伐に反対し、対馬の目的を探るためにユン・フェとチャン・ヨンシルを対馬に派遣する一方、対馬問題解決のためのチームを作り懐柔策を模索する。息子の世宗があいかわらず理想論者であることに怒りをあらわにして世宗に詰め寄る太宗。結局、世宗は対馬征伐は避けられないことを認める。
出陣式を終えた軍は南下し、王族は勝戦祈願式を行うため康寧浦に向かった。対馬の宗貞盛は主力軍が都にいない今こそ太宗(テジョン)、世宗(セジョン)を暗殺するチャンスだと考え、朝鮮に決死部隊を送るが、彼らは平道全(ピョン・ドジョン)らの手によって殺される。世宗は敵の命も軽く扱ってはいけないという原則の下、攻撃対象を敵の前線に制限し、圧勝を収める。
対馬に上陸した朝鮮軍の目的は、対馬城に捕らわれた130数名の捕虜の中にいる明の科学者ヨ・ジンを助け出すこと。彼は明が朝鮮を支援するための条件となる人物だった。朝鮮軍に包囲された対馬城主は、九州に援軍を要請する。同じ頃、太平館では明の勅使と朝鮮の学者の知恵比べが行われ、王宮では世宗(セジョン)が九州の使者に対馬を支援しないという約束を取りつけようとしていた。言葉巧みに九州の使者を脅し、対馬に援助しないという確約を得た世宗。 臣下たちはひと安心する。
1419年(世宗1年)、厳しい戦闘が続くなか、外交を通じた和親を考える世宗(セジョン)。対馬を服属させるべきと考える太宗(テジョン)や、朝廷内でも意見は分かれるが、民の平和を訴える世宗の親書により、倭軍は降伏。対馬征伐は勝利となる。翌1420年(世宗2年)の夏、ふたたび日照りが続くとの予測が出され、世宗は治水策として水車の建設を急がせる。しかし一転、突然の大雨による洪水で甚大な被害が発生との知らせが入る。太宗は、体調を崩してきていた…。
大雨が降って洪水が起こり、町は甚大な水害を受けた。家臣らは予報士を罰し、「これは天の怒りだ」と、世宗(セジョン)に天へ償いの儀式をするよう迫る。神頼みより人力で普及作業を進めると断言した世宗。「天を軽んじる傲慢な王だ」と批判の声が高まる中、今度は町中に疫病が流行る。更に、「王を象徴する」とされる太陽がかげる日食が起こり、世宗は追い込まれていく。
日食の予報が外れ、民からの信頼を失った世宗(セジョン)。民心は水害の被災民救済活動を行う孝寧(ヒョリョン)に集まる。重臣たちは孝寧の寺を中心とした救済活動を不法とし、寺周辺の民も弾圧。チョ・マルセンは世宗に対し、集賢殿の閉鎖を要求。断る世宗に対し、チョ・マルセンは集賢殿を残したいなら孝寧を処刑するよう迫る。イ・チョンは新たな青銅活字を開発。チャン・ヨンシルは暦学を学び始める。
重臣と民をなだめ、 集賢殿を守るため世宗(セジョン)は仕方なくパク・ウンを罷免にする。一方、寺にこもり民の看病を続ける孝寧(ヒョリョン)大君に、元敬(ウォンギョン)王后と昭憲(ソホン)王后まで加勢していた。抑仏政策を主張する家臣の圧力に負け、ついに世宗は寺の閉鎖と孝寧大君の謹慎を命じる。だがそれを聞いた元敬王后はマラリアに倒れ、世宗は病を治すため自ら王后を連れて宮殿を出る。
病に倒れた元敬(ウォンギョン)王后を寺へ連れていった世宗(セジョン)は、王后の回復を願う民の心に触れ、自身が行った仏教弾圧の過ちに気づくが、1度発した命令を覆すことはできなかった。世宗の不在中、朝廷では、チョ・マルセンが、王が国政を放棄している状況での不測の事態にそなえて戒厳令を発布し、北方警備を強化する。王宮に戻った世宗は、国是(儒教)は守るが民の心までは弾圧しないと決意、民が儒学を重んじるように教科してゆく道を探るよう、朝廷に指示を出す。
チャン・ヨンシルは朝鮮と明の天体を比較した結果、両国の天体は違うことに気づく。世宗(セジョン)は朝鮮独自の暦法を作り出すよう命じるが、チョ・マルセンは「明への反逆だ」と強硬に反対する。世宗は秘密裏に事を進めようとするが、太宗(テジョン)に知られ、激しい怒りを買ってしまう。世宗に反発するチョ・マルセンはファン・ヒを訪ね協力を仰ぐ。
ファン・ヒを訪ね、世宗(セジョン)を廃し譲寧(ヤンニョン)大君を王にしなければならないと説くチョ・マルセン。それを知った太宗(テジョン)は激怒し、チョ・マルセンを捕らえよと命じる。しかしチョ・マルセンは太宗に反旗を翻し、重臣たちはこぞって便殿を出ていく。暦法の作成断念と太宗の兵権放棄を要求するチョ・マルセンと重臣たち。困った世宗は、ファン・ヒの元を訪ね復帰を頼む。一度は断るファン・ヒだが、死期が迫った太宗の説得により復帰を決意する。
朝廷に戻ったファン・ヒは登庁を拒む役人の説得に走る。チョ・マルセンは明の怒りを買うことを恐れて朝鮮が独自の暦法を持つことに反対するが、ファン・ヒの尽力の甲斐あって世宗(セジョン)と話し合う機会を持ち、政務に復帰することを約束する。太宗(テジョン)は余命わずか。譲寧(ヤンニョン)大君は涙ながらに父に詫び、昭憲(ソホン)王后も太宗のもとを訪ねる。太宗は世宗に天文台の建設場所を決めてやる。
太宗(テジョン)の葬儀を終えた後、世宗(セジョン)は大々的な人事を行おうとする。しかし、重臣たちはその前にファン・ヒの署経(官吏任用にあたって中書門下の中級官吏による承認行為)を行うべきと主張。チョ・マルセンはキム・ムンに密かにファン・ヒに関する告発文を渡す。それはファン・ヒがある男の妻を監禁し性的に蹂躙したというもの。告発文を見たチョン・インジは事実を隠ぺいすべきか葛藤する。一旦は世宗と朝廷のために隠ぺいを決意するチョン・インジだが、署経の最後に告発文が真実かをファン・ヒに問いかける。
ファン・ヒに対する尋問が始まったが、ファン・ヒは真実を語ろうとしない。ファン・ヒの無実を証明したいチェ・マンリは、上訴した男の妻である女性を呼び、真実を語らせる。かつて夫から暴力を受けていた女性をファン・ヒと太宗(テジョン)が救っていたのだった。ファン・ヒへの署経権発動(官吏任命に際する審査)は回避される。一方、明では、チャン・ヨンシルが、ダヨンの協力を得て天文観測所への潜入に成功する。
チャン・ヨンシルが帰国した。早速、世宗(セジョン)は専門の官庁を設置してチャン・ヨンシルを責任者に任命し、天文機器の製作を命じる。だが官吏たちは彼の下に入ることを拒否する。製作は遅々として進まない。人材を身分ではなく能力で登用したい世宗は、家臣らの強い反発を無視し、チャン・ヨンシルを尚衣院(王の衣服や日用品を管理する役人)に任命した。
奴婢チャン・ヨンシルに官職を与えようとする世宗(セジョン)に重臣たちは猛反対する。奴婢に官職を与えることは国の根幹である身分秩序を揺るがすとして集賢殿の学者も一様に反対の立場をとるが、これに対し世宗は断食で対抗する。チョ・マルセンはこの機に乗じて敬寧(キョンニョン)に接近し、まだ王になる夢が残っているか尋ねる。チャン・ヨンシルは自ら官服を脱ぐことはしまいと決意しながらも、世子(世宗の息子)の涙ながらの直訴に屈し、世宗に官服を返しに行く。
チャン・ヨンシルの登用に反対する集賢殿の役人は、チョ・マルセンと手を組み世宗(セジョン)を断念させる方法を模索していた。一方、ファン・ヒとキム・ムンは、チョ・マルセンの汚職を暴き世宗に告げる。だが世宗はファン・ヒの助言を退けチョ・マルセンの汚職に目をつぶると言う。そこでファン・ヒはチョ・マルセンに免職にしない代わりチャン・ヨンシルの登用を認めるよう取引を申し出る。
チャン・ヨンシルは、簡儀台の造成に力を注ぐ。チャン・ヨンシルの登用を受け入れたチョ・マルセンを、チェ・マンリは支持するようになるが、チョ・マルセンの本意を知っているキム・ムンは警戒し、ついに彼の本意をチェ・マンリたちに告白する。世宗(セジョン)の娘貞昭(ジョンソ)の病状が悪化し、病床で祖母の身分を回復してほしいと頼むが、世宗は王として、娘の願いを聞き入れることができなかった。貞昭は死亡する。一方、北京では明では、皇帝が死亡する。
悲しみのなか貞昭(ジョンソ)の葬儀が行われる。チョ・マルセンの陰での動きを知った集賢殿の研究者たちは、故シム・オンの名誉回復を求めて上訴文を出す。領議政、ファン・ヒは訴えを拒絶するよう進言するが、世宗(セジョン)は上訴を受け入れようと決心する。しかし、同時に、シム・オンを反逆者にした者たちを罰しなければならなくなる現実に苦悩する。その苦悩を知った昭憲(ソホン)王后は、「父の復権は望まない」との文書を出す。それでも上訴を続けようとするチェ・マンリたちを、領議政が自らの辞職と、連座制によって身分を剥奪されたシム・オンの妻の復権を約束し、説得する。
国境を超え朝鮮にやってくる女真族たちが増え始め、世宗(セジョン)は彼らを朝鮮の民として受け入れることを表明する。だが他族の血を入れたくないチョ・マルセンたちは不満を募らせる。明では皇帝が崩御し、ダヨンは殉死を命じられる。使者として明に入ったチャン・ヨンシルは何とか彼女を助け出そうとするが、その願いは叶わなかった。一方、女真族の受け入れに不満が高まる都では、放火による火災が次々に発生する。
世宗(セジョン)が公務のため地方に行っている間に、都では放火と思われる同時多発火災が発生。王妃沈氏を中心に重臣たちは人命救済を最優先に対処したが、都に住む民の間には「北方民」の仕業との声が上がり、彼らは直接北方民に復讐する。チョ・マルセンは民心を落ち着かせるためには北方民たちを即刻逮捕し、処刑するよう主張し、女真族の帰化策を推進してきた世宗を責める。
真夜中、王宮に侵入したのは、王子時代の世宗(セジョン)が共に過ごした少女タミだった。両親を女真族に殺された彼女は、包容政策を進める世宗に、特別な陳情書を渡す。放火犯の濡れ衣を着せられ命の危機に立たされた北三道の民は、世宗に直訴するため王宮へ押しかける。殺気立つ彼らに世宗はひざまずき、苦しい暮らしに気づけなかったことを詫びる。世宗の誠意は彼らの心を動かし、一触即発の危機は回避された。
放火事件に関わる商団からチョ・マルセンの二重帳簿が見つかり、義禁府は逮捕令を出す。その頃、チョ・マルセンは世宗(セジョン)の前で内乱を防ぐためにも自らを手下の前で処刑してくれと頼んでいた。しかし、世宗は重臣たちに流刑にすると宣言。それを聞いた集賢殿の学者たちは書を焼いて抗議の意を示し、チェ・マルリは辞職届を出す。流刑になるチョ・マルセンは、立ちはだかるチェ・マルリに、いつの日か再び舞い戻ると告げる。
1429年、世子の2度目の結婚式。式を抜け出した世子がチャン・ヨンシルに、強引な父への不満を打ち明ける。だが、チャン・ヨンシルの言葉に、世子は考え直し、結婚式の場に戻る。一方、世宗(セジョン)は女真族の首長らを役人に登用する意向を示す。しかし、北方では依然として略奪、奇襲行為が繰り返され、民が犠牲になっていた。陣の撤退をめぐって論議が分かれる役人たちに対し、世宗は先祖から受け継いだ領土を失うつもりはないとして、戦も辞さない構えを示す。
世子が皇帝に謁見するため明へ向かうが、皇帝は世子の入国と謁見を拒否する。理由は世宗(セジョン)が国境付近の軍事力を強化していることだった。朝廷の重臣らは国境から後退すべきだと主張するが、世宗は側近を責任者に任命し、更なる強化を図る。国境を巡る明との攻防戦に、イ・スは秘策を思いつく。それは国境が朝鮮の領土であることを示す碑石を探すこと。タミたちの助けを借り、イ・スはついにその碑石を探し当てた。
自国の領土を守るためには北方の軍事力を強化することが必要だと主張する世宗(セジョン)。イ・スは高麗時代にユン・グァン将軍が建てた北方国境の石碑(定界碑)を探しに行く。明の宦官、ワン・ジンは定界碑を破壊し、イ・スを殺害するようヘ・スに命じる。軍事力を強化しようとする世宗に対し、ユン・フェは民の負担を考え、今までどおり明との事大外交を続けるよう進言し、2人の意見は対立。イ・スは石碑のある場所を世宗に伝え、息を引き取る。
女真族の首長イ・マンジュが火砲の製造に成功したと言う情報が入る。朝鮮もまた、チャン・ヨンシルを中心に新武器の製造を急いでいたが、なかなか成功しない。そんな中、女真族が平安北道の閭延面に攻撃を仕掛けてくる。それを知った世宗(セジョン)は怒り、女真を討つために新武器の開発を急がせる。そして最後の手段として流刑にしたチョ・マルセンを呼び寄せる。
流刑にしていたチョ・マルセンをも動員して、北方征伐の準備を無理に進める世宗(セジョン)。そんななか、世子の師匠であるシン・ジャンが過労死する。世子は世宗に、多くの犠牲を払ってまでの北方征伐は即中断するよう訴えるが、世宗の意思は変わらない。連日の公務で、ついに世宗も体調を崩し療養に出る。王が都を離れた隙に攻撃しようと、北方民族は準備を急ぐが、実は敵を欺く作戦。世宗は戦地に赴き、兵士たちを激励、火薬を使った新しい兵器を用いての北方征伐が始まった。
女真族の兵站施設に対する戦闘は、朝鮮が新武器を活用して圧勝を収める。チェ・マルリは朝鮮の女真族攻撃に対する了承を得るために、明に向かう。新武器に続いて、朝鮮はチャン・ヨンシルを中心に「簡儀」を製作し、首都漢城の北緯の計測に成功。自国の技術を明から守るために、世宗(セジョン)は秘密諜報組織を結成する。
明の皇帝は幼い皇太子の師にファン・チャンを指名する。ファン・チャンを脅威に感じたワン・ジンは、彼の殺害と朝鮮の新武器の技術を盗み出すため策略をめぐらせる。世宗(セジョン)はファン・チャンが勅使として朝鮮に訪れる前に、新武器の技術を2人の王子に暗記させ、関連記録をすべて破棄するよう命じる。だが新武器の開発で朝鮮が明に睨まれ、危機にさらされることを恐れたチェ・マルリは、ファン・チャンにそそのかされ記録を渡してしまう。
明の使者に銃筒謄録(新武器の内容を記した本)を渡そうとしたチェ・マルリ。本の内容は白紙だったが、世宗(セジョン)はチェ・マルリに対し厳しい人事を行う。平和を願う世子は世宗に反発。幼き日の世宗のように申聞鼓を叩き、新武器開発は諦め内治に務めるよう訴える。世子の勧めで、密かに町を視察することになった世宗は、思いがけない事件に巻き込まれる。
お忍びの視察に出かけた世宗(セジョン)は、1人の奴婢チョンドゥンに刃を突きつけられる。彼は主人殺しの罪を着せられており、世宗に汚名を晴らしてくれるよう頼む。チョンドゥンの無実を証明するために奔走する世宗。結局、彼の無実は証明されるが、字が読めないために騙されていたのだ。多くの民が文盲であることに心を痛めた世宗は誰もが読める文字の創設を心に誓う。
音韻書を印刷し集賢殿に配付した世宗(セジョン)は、法典を吏頭に翻訳して民に配ると言い出す。しかしチェ・マルリは法を悪用する者が出ると猛反対し、ファン・ヒは朝鮮の文字を作るという世宗に不安を覚える。ファン・ヒは文字創製には重臣たちの支援を得られないと諫言するが、世宗の意志は固かった。世宗の熱意に負けたファン・ヒは、彼を支持することを決意する。世宗は世子に政務を任せ、本格的に文字創製に取り組む。
シン・スクチュが集賢殿に登用される。チェ・マンリは、語学に堪能なシン・スクチュの大抜擢に、世宗(セジョン)が文字を作ろうとしているのではないかと考える。世子妃は自らの過ちを世宗に告白し、廃位を申し出る。問題の女官は宮中を抜け出し、チェ・マンリの家に駆け込んでいた。証拠を切り札に世宗の文字創製、世子への国政代理を食い止められると考えたチェ・マンリは、世子に取り引きを持ちかけるが、国政の代行が行われる日、世子は取り引きを拒絶する。
世子の妃の不祥事が宮中に知れ渡り、世子は窮地に立たされる。世子は抗議の座り込みをする儒学生らと賭けをし、それに勝って世子の座を守りきる。民の言葉を採録するためにお忍びで町へ出かけた世宗(セジョン)は、有能な儒学生と出会い、文字創製へまた一歩近づく。一方で世宗を長年にわたり支え続けてきたユン・フェが死去。世宗は深い悲しみに沈む。
1441年。世宗(セジョン)は文字の研究に没頭している。また、朝鮮独自の暦を開発すべき研究も続いていた。だが、独自の暦を作ることは、宗主国明への反逆行為であるとして、技術を漏洩した罪で学者ファン・チャンは拷問を受け、明の皇帝はチャン・ヨンシルを捕らえるよう命令を出す。一方、世子は、毎年のように起こる水害に正確な雨量測定ができないかと考え始め、世界初の測雨器を開発する。同じ時期、世子に待望の男子が生まれるが、難産のため世子妃は亡くなる。
明は朝鮮が簡儀台を製作したことを察知、急遽視察を派遣する。天文機器と観測記録の隠蔽に王宮は大騒ぎになるが、王妃の籠に隠して運び出し、うまく視察の目を逃れることができた。だが今度は世宗(セジョン)が文字を創製しようとしていることも知られてしまう。明は技術を盗み出したチャン・ヨンシルの引き渡しを要求。朝鮮の未来を背負う人材を差し出すか、明と武力衝突するか。世宗は困難な選択を迫られる。
チャン・ヨンシルの引渡しを要求する明。文字創製のための秘密研究所のありかをつきとめたチェ・マルリは文字創製の証拠を見つける。チェ・マルリはその証拠を明に渡すかわりに、チャン・ヨンシルを助けるよう明に対して働きかける。世宗(セジョン)は天文儀器も文字創製もチャン・ヨンシルも諦められない。ついに世宗はチャン・ヨンシルを明に引き渡すため輿に乗るが、その途端、車輪が破損してしまう。チャン・ヨンシルは自分の仕業だと自ら告白するが…。
荷車を壊した罪でチャン・ヨンシルを捕らえた世宗(セジョン)は、明に文字創製の証拠が渡るのを防ぐため彼を重刑である棒叩き100の刑に処す。これにより集賢殿の役人たちの世宗への反発は強くなり、チェ・マルリは文字創製の証拠をつかもうと躍起になる。しかし、世宗の意欲は衰えることなく眼病に患わされつつも文字の研究に没頭し続ける。そんな中、王妃の何気ない言葉により、世宗はついに朝鮮の言葉に隠された三つの音「初声、中声、終声」に気づく。
世宗(セジョン)の文字創製事業を阻止しようとするチェ・マルリの動きは続く。世宗への反対勢力の拡大を図り、チャン・ヨンシルを死へ追いやった世宗を恨むチェ・ヘサンに近づき、新兵器の技術を明に渡し、世宗を失脚させる計画に誘いこもうとする。その計画を知った世宗は、実はチャン・ヨンシルが生きていることをチェ・ヘサンに教える。チェ・ヘサンは世宗への忠心を取り戻し、チェ・マルリの誘いを断り、再びチャン・ヨンシルと研究を始める。チングァオン寺での世宗の研究は続くが、世宗は少しずつ視力を失いはじめる。
世宗(セジョン)は進展のない文字創製のヒントとして人体を解剖し、発声の仕組みを調べようとするが、「儒教国家である朝鮮では許されないことだ」と官吏の反発は激しい。チャン・ヨンシルとチェ・ヘサンは引き取り手のない死体を捜して都中を奔走。だがチャン・ヨンシルの生存が知られてしまい追っ手に追われる中で、自らの体を解剖に使ってほしいと言い残してチェ・ヘサンは命を落とす。世宗はアラブ人の医師と共にチェ・ヘサンの体を解剖する。
民衆でも簡単に読める朝鮮の文字を作るために、口蓋の仕組みを知ろうと、世宗(セジョン)は人体解剖を強行する。反対派のチェ・マルリたちは、世宗を玉座から失脚させるチャンスと考えるが、世子たちが盾となり、解剖は無事に終了する。作成した解剖図を元に研究は進められ、ついに朝鮮独自の文字「訓民正音」が完成する。しかし、チョ・マルセンは文字の普及に決死反対する覚悟であり、明も朝鮮が天下を制しようとしていると考えて、その普及を阻止しようとする。
視力を失いながら完成させたハングルを頒布しようとした世宗(セジョン)は、学者たちの強い反対に遭う。彼らは民が賢くなり政治に参与することを嫌っていた。だが世宗は知恵と統率力で彼らを説き伏せる。朝鮮の発展を抑えたい明も頒布を妨げようと脅しをかけてきたが、世宗は一歩も引くことなく…。
大王世宗