京たけのこ 柴田さん(京都市)
京都市西部に位置する大枝塚原町は昔から美しい竹林が広がり「京たけのこ」の産地として知られていました。明治期にはすでに生産組合が作られ、各地に行商に出向いていたということです。代々受け継いできた竹林で毎朝4時からたけのこを掘る柴田さんはこの道50年以上の大ベテラン。粘土混じりの軟らかでしっとりとした土質が最高級のブランド「京たけのこ」を生み出します。親竹を5年単位で管理し、育てる間隔も調整、伸びすぎないように先端を折り取り、11月頃には竹林全体を覆うように土をかぶせる土入れを行うなど1年を通して作業が続きます。そうした努力とわらや草を含むふかふかの土のおふとんが「京たけのこ」を育むのです。
春きゃべつ 平岡さん(京都市)
羽束師地区の春きゃべつは昭和50年代から洛南を代表する野菜のひとつとして、京都や大阪の市場に出荷されてきました。JA京都中央の青壮年部の初代部会長でもある平岡さんは地域のリーダー的存在として活躍しています。街中とはいえ鳥の被害や住宅地に隣接するため農薬の使用を極力控えるなど、都市農業ならではの苦労が少なくない中、平岡さんは逆にやりがいがあると考えています。効率化のため同じ畑で違う品目も手がけますが、地力を保つために平岡さんが愛用しているのは、街路樹を選定した際にでる枝をたい肥化した肥料です。JAと京都市が開発したもので動物性の有機肥料よりやさしく、長期にわたって野菜づくりができる土に整えてくれるのだとか。
ほうれん草 上田さん(京丹波町)
昭和50年代頃からほうれん草栽培に取り組んできた瑞穂地域。親子2代続くほうれん草農家の上田さんは土の管理にこだわっています。土のpHと残った肥料分を調べることで土の状態をコントールし、病気や虫も出にくくなってきたとか。夏場にはビニールでハウスの土の部分を覆って太陽熱で消毒を行うなど、様々な工夫をこらし、安全でおいしいほうれん草栽培に取り組んでいます。
京の肉 八木さん(亀岡市)
京都が誇るブランド牛「京の肉」。その一大産地のひとつが亀岡市です。50年以上にわたる肉牛生産の歴史があり、地元では「亀岡牛」の名前でも親しまれています。京都府では衛生管理等が徹底された安全な畜産施設・牧場の認定制度を拡充していますが、そのひとつ八木畜産では飼料の配合に工夫するほか、一頭ずつの個性を見極めてストレスを与えないよう育てています。
丹後コシヒカリ 川戸さん(京丹後市)
平成以降、西日本では最多の「特A」を受賞している丹後コシヒカリ。そのブランドに甘んじることなく特別栽培米でさらに差別化を図っています。稲作研究会の会長も務め後継者の育成にも尽力する生産者の川戸さんは、丹後の地理的条件や気象条件がおいしい米づくりにつながっていると語ります。
花菜 小山さん(長岡京市)
古くから伏見桃山あたりで切り花用に栽培されてきた「寒咲なたね」を食用に改良した「花菜」。京漬物の原料として、また一足早い春を楽しむ料亭用の高級食材として人気を集めるようになり、今では長岡京市などで栽培に力が入れられています。実際に「花菜」の畑に料理人を招く産地交流会で参加者に収穫方法などを指導していた小山さんに栽培の工夫などを聞きます。
九条ねぎ 井上さん(与謝野町)
与謝野町では多くの若手農家も参加し地域をあげてブランド産品「九条ねぎ」の生産に取り組んでいます。そんな若手の一人井上さんは京都でサラリーマンをしていましたが、両親が体調を崩したこともあり、生まれ故郷に戻り、以前から興味のあった農業への挑戦を決意しました。これからは農業を通して地域に貢献し、ゆくゆくは規模を拡大して農家レストランもと井上さんの夢は広がります。
京みず菜 砂井さん(京丹後市)
丹後で30年以上前から整備が進められてきた広大な国営農地は東京ドーム100個以上の広さとなります。そこで開発当初から農業を営む砂井さんは若手農家の先生役も務めています。4年前からは直売所への出荷を始め、少量多品種の栽培に切り替えました。地域が誇れる野菜を全国に向けて発信したいと考えている砂井さんは今、ブランド産品「京みず菜」の生産に力を入れています。
京こかぶ 新谷さん(京都市右京区京北)
山間地特有の冷涼な気候と清らかな水を活かし、数々のブランド農産地の産地となっている京北。昭和40年代から京北で生産に力が入れられている「京こかぶ」は、真白な肌と美しい形で全国的に知られるブランド品となっています。4年前から本格的に農業に取り組むようになった新谷さんは、父親や先輩農家以上の「京こかぶ」を作ることを目標にしています。
えびいも 藤田さん(京田辺市)
京田辺市や亀岡市が主な産地となっている「えびいも」。土の入れ方などを工夫することで、まるでエビのような独特の形を作りだし、最近は和食だけでなくフレンチやイタリアンでも利用が拡大しています。栽培歴は40年にもなるという藤田さんは自作の道具を活用し、今では1000株も手がけるブランド産地を代表する農家です。生産量アップのためJAが取り組む機械化の現場もリポートします。