函谷鉾
天明の大火で焼失し、50年後の天保(てんぽう)十年に復興。このとき「嘉多丸(かたまる)」と呼ばれる稚児人形が作られ、以来、稚児人形をいただく。
航海の神、住吉明神を祀る。中国、古代伝説の王、尭帝(ぎょうてい)の時代。天下がよく収まり、訴訟の際に鳴らされた太鼓が役目を失って苔むし、いつしか鶏の巣が宿っていたという故事にちなむ。
かつてこのまちは、えびすさまを祀る祠を抱え、その脇に、名水が湧き出していたという。千利休の師である武野紹鴎は、ここに庵を構え弟子たちに名水を汲ませては、茶の湯に親しんだと伝えられている。井戸の名は「菊水の井」。鉾は、この水にちなんで名づけられた。
鉾頭(ほこがしら)に掲げたみかづき。悠久の歴史と雅を結集させた絢爛豪華な出で立ち。動く美術館の筆頭とうたわれる月鉾は、いたるところに金属の装飾を用い、山鉾のなかでも最重量を誇る。
放下(ほうげ)とは,俗世間を解脱することで、街角で芸をしながら仏法を説いた放下僧(ほうかそう)を祀っている。鉾頭(ほこがしら)は日・月・星。その三光が下界を照らす。形が「すはま」に似ていることから「すはま鉾」とも呼ばれている。
都大路を進み行く、華麗な船に安置されるご神体は、陣中で崩御した天皇に代わり、海軍を指揮した神功(じんぐう)皇后。懐妊中にもかかわらず、男装して軍を勝利に導いた。そして無事、凱旋後に皇子(おうじ)を出産したと伝わる。巡行時、ご神体に巻いた五十本もの晒しを、のちに授与。安産祈願の腹帯としてご利益を授ける。
天上の命(めい)により、下界に島をつくったイザナギとイザナミ。その地で婚姻を結んだふたりは、次々と島を生み出し、やがて、日本をかたちづくったという国生み神話。また、弟スサノオの暴挙に悩む太陽の神アマテラスが、岩戸のなかにひきこもってしまったが、神々の英知で世界に光が戻ったという天(あま)の岩戸。ふたつの神話をもとに、岩戸山はつくられた。
山が表すのは、大江山の鬼退治で名高い豪傑・平井保昌の恋の物語。和泉式部のために、禁断の紫宸殿に咲いた左近の梅を手折った。かくして恋は成就し、保昌山は縁結びのご利益をうたう。
神功皇后が鮎を釣って戦勝を占った伝説にちなむ。神功皇后は、のちの応神天皇を妊娠したまま出兵し、帰国後、無事に出産したといわれ、安産の神とされる。山の巡行順が早いと、その年のお産は軽いとされ、身重の女性たちが注目する。御利益は安産。
左手に数珠(じゅず)、右手に斧。腰に下げた法螺貝(ほらがい)。八坂の塔が傾いた際、法力をもってなおしたと伝えられる、修験者、浄蔵貴所だ。ご神体の顔は、不思議なことに、見る者の心により、表情が異なって見えると人々は囁きあう。
斧をかまえ、見下ろした琴に向けて、今にも振り下ろそうとする男。この山のご神体は、なんとも意味ありげな格好をしている。琴を割るご神体の姿から「ことわり山」と呼ばれたが、明治に改名。名人としての名誉を、友や自分の尊厳のために打ち破る伯牙の姿に、人は何を思うのか。山の粽は、無病息災を願っている。
妻と別れた男は落ちぶれ、難波(なにわ)で芦を刈って暮らしていた。そこへ、豊かになった妻が夫を探してやってくる。貧しい身なりを恥じつつ、男は詠んだ。「君なくて 芦刈りけると思ふにもいとど難波の 浦は住み憂き」。夫婦の心を綴った謡曲・芦刈。ご神体の翁は、右手に鎌、左手に芦をもち、粽にも、芦が添えられる。
四天王寺建立のために木材を求めて山城の国を訪れた聖徳太子。水浴びをするあいだ、携えていた観音像の厨子(ずし)を木に懸けていたところ、離れなくなってしまった。そこで太子は、仏のお告げによる立派な杉の木を建材に、像を納める六角堂を建てたという。この山が唯一杉を立てるのは、木をめぐる伝説からか。粽にも、杉の小枝が添えられる。
詩人、白楽天は、道林(どうりん)禅師を訪れ、仏の道について、問う。ところが動林は、「善いことをし、悪いことはしないのが仏の道」という。「子どもでも知っている当たり前のこと」と、あきれる白楽天に対して動林は、「しかし、80歳の老人でも、おこないがたいこと」と返した。白楽天は、動林の徳に感服して帰路についたという。
さしかけ傘で稚児六人が進み、棒振り、隠太鼓、そして傘鉾と続く巡行。赤熊(しゃぐま)をかぶり、面をつけたふたりが締太鼓(しめだいこ)を打ち、素面の棒振りが踊りで悪疫を払う。傘鉾とは、鉾を持ち歩いて疫霊退散を祈願した古式を受け継いだもの。
後の祭のしんがりをつとめる曳山だったが同時巡行により、最後を行くくじ取らずの山となった。天明の大火で焼失後、かつぎ山から曳山として復興した。宵山の深夜、楊柳観音を台座に縛り付けて大きく揺らす「あばれ観音」。南観音山と北観音山の観音様が、巡行の日、年に一度会える喜びをあらわしたという説もある。
真松(しんまつ)も山籠(やまこも)もない独特のかたちは、山 本来の古式を伝えるもの。四方から望めるご神体は、弁慶と牛若丸が五条大橋で対峙(たいじ)する、有名な場面をあらわす。
黄河の上流、龍門(りゅうもん)の滝。激しい逆流をものともせず、見事に滝を登りきった鯉は、龍になると伝わる。中国の故事「登龍門」。迫力あふれる木彫りの鯉の奥に、スサノオノミコトを祀る。稀少の名品として名高い、山飾りも魅力のひとつだ。