京田辺市にある、スノーボード施設「京・大阪KINGS」のオーナー。スノーボードでアクロバティックな技を競うスロープスタイル競技の日本人の第一人者でもある。高校時代にスノーボードに出会い、大学時代には冬は雪山、夏は室内ゲレンデでスノーボード漬けの日々。就職先が決まっていたが、友人に影響を受けてスノーボードのプロを目指すことに。父からは、「25歳までに形にならなかったら諦めろ」と言われ、本気で競技に専念し世界大会で活躍する。25歳の時に出場した「日産X-TRAIL JAM(エクストレイルジャム)in東京ドーム」では日本人最高位の5位に入賞。父親に認められ、スノーボードに人生を賭けることに。その後、スノーボードのプロモーションDVDの制作に没頭するが、2015年、撮影中に道路に転落。ヘリで搬送され緊急手術を受けたが脊髄損傷の大ケガを負う。妻の必死のサポートや、後輩の励ましを受け、怒涛のリハビリの末、1年と2か月で雪上に復帰を果たした。その後、障がい者のスノーボード競技への出場をきっかけに、2022年のパラリンピック、ナショナルチームに誘われ、強化選手となる。今は「WE RIDE FOREVER」をテーマに、スノーボーダーとして一生滑り続けたいと考えている。