大正時代に滅びた「京藍」を復活させ現在はアート製作を行い妙心寺、桂春院へ「京藍壁観図」を奉納。国内外のアーティストや企業とコラボ製作を進めている。大学では就職活動はしていたが、やりたい事を仕事にしたいと途中でやめ1か月ニューヨークへ。気になる店をまわる中、あるアパレル店へ。そこで販売されていた青い服が目にとまり店員に話を聞くと「ジャパンブルー(藍色)」と教えてもらった。帰国後、テレビで藍染の特集を見た時に、植物の色であんな色が出ているんだと感動。技術を身に着けたいとテレビに出ていた染谷工房「染司よしおか」へ。直接出向き弟子入りを懇願したが断られた。それでも根気強く通うと、愛媛県にある『野村シルク博物館』で2年学ぶことを条件に、弟子として受け入れる約束を取り付ける。愛媛県では、蚕を育てる養蚕から、蚕の吐く糸(絹糸)その糸を植物で染め、染めた糸を機にかけ手織り、着物を仕立てる和裁までを学び衣類になるところまでを一貫して学ぶ。2年後、染司よしおか五代当主、吉岡幸雄先生の元へ弟子入り。染司よしおかで学ぶ中で、先生が所有する文献を借り日々研究。そして独立に向けて、給料から少しずつ染色道具を買い集め、個人で20坪ほどの畑を借り、藍の栽培・染料の製造を始める。文献を読み漁り研究していた染色歴史から、京都洛西が藍染の産地だったこと、最高級の藍を京都が作っていた事を知る。京都市で栽培されていた京藍、滅びてしまった京藍を京都市初で復活させるという気持ちが芽生える。よく見るはっきりとした藍色ではなく、淡い藍色が京藍染の特徴。昔はそれが流行だった。再現して、約100年ぶりに復活させた。京藍染で作成した作品たち、テーマは微生物たちの世界を表現している。バックポーチや雑貨品の商品を作ったが、こんな事をしていてはまた京藍染は廃れてしまうと考えた。そのためアーティストとして、作品を千年先まで残していく活動をすることに。