プロバスケットチーム「京都ハンナリーズ」で2009年の創設からチームの司令塔として活躍。2019-2020シーズン、ファンに惜しまれつつ引退した。小学時代からバスケット一筋で、中学校では大阪選抜のメンバーとして、全国の舞台に立つ。しかしレベルの高さに衝撃を受け、健闘むなしく1回戦で敗退。洛南高校に進学し、練習に奮闘。高校2年生から出場機会が増え、高校3年生には全国大会でベスト4に輝く。同志社大学に進学後、一度バスケットから離れるも祖父に諭される。応援してくれる人たちの期待に応えようと復帰を決意。卒業後はプロバスケット選手として活躍。引退後は「CreEight Basketball School」を立ち上げ若手選手の育成に力を注いでいる。