祖父は桜守として知られる16代目 佐野藤右衛門さん。1832年創業の植藤造園の長男として生まれた友亮さん。子供の頃は家業を継ぎたくないとプロのスノーボーダーを目指し、大学生の頃にカナダやニュージーランドに遠征。そこで見たのは、毎日雪山で遊び、スノーボードに親しんできた少年たちの技の凄さ。生まれた環境が違うので到底太刀打ちできないと痛感。自分が生まれた環境、生い立ちを考え庭師の道に進むことを決意する。大学卒業後は横浜の造園会社に就職。4年後に京都に戻り家業を手伝うようになる。「丁寧で早い」京都の庭師のレベルの高さを改めて感じ、職人の経験と技でつくり上げる庭師の仕事に魅了されていく。今は、海外でも日本庭園をつくって欲しいと依頼を受け、一流の技で応えている。目指すのは何百年後に残る庭。庭とともにもっと成長していきたいと語る。