大正時代から代々続く青果店、西喜商店の店主。幼少期から店を継ぐことは考えておらず、大学卒業後は大手ゲーム会社に入社。しかしスマホゲームの普及、リーマンショックで経営が傾き、希望退職者を募るほどの事態に。そんなある日、Facebookを見ていたら地方活性プロジェクトで活躍している人たちの記事に目がとまる。いきいきしている写真に憧れ、その時はじめて実家の青果店を通じて地域活性を行おうと考えた。しかし、父親は大反対、結局継がせてもらう事が出来ず、東京で地域の野菜販売を行う仕事を始める。そこから父親の態度は徐々に変化し、丸6年かかって京都に戻ることが出来た。現在は、野菜を通じたコミュニケーションの場を企画するなど精力的に活動している。