現在の仕事に繋がる転機となったのは大学2年生の時。「MDcafe」というカフェバーでアルバイトを始めたことがきっかけ。客には映画監督、映画プロデューサー、海外ミュージシャンがいて、そんな人たちと過ごしているうちに「表現する」という事に感化されていった。表現の中でも絵を描くことが得意だったので空いている時間やライブ中に、ひっそりとスケッチブックに絵を描くようになる。そんな事をしていると、ドラマーの方がおもしろがってくれて、「CDジャケットに使わせてくれないか?」と声をかけてくれた。清書しようとCDジャケット用のドローイングを後日送ったら、「いいね!でも、ひゃひゃっとした感じもほしいんだよ」とリクエスト。「『ひゃひゃっと』って何?」と思いながらも何となくわかってしまうという、表現者やりとりがおもしろかった。その他に、ミュージシャンやダンサーから依頼を受けライブやショーなどのフライヤーをデザインも含めてつくったり、MDcafeで個展を開いたりした。結局、就職活動を一度もせぬまま大学を卒業。卒業後はMDcafeで働きながら、2年ほどぶらぶらしていたある日、マスターに病気が見つかり入院することに。マスターが戻ってくるまでの間、なんとかこのカフェバーを守りたいと、臨時店主を務めていた時期があったが、1年後にマスターは亡くなる。その時に、マスターが好きだった小説のタイトルから「暢気(のんき)」の「暢」という一字を取って「ナカガワ暢」という芸名で活動する。はじめはイラストレーターの「卵」と名乗っていたが、応援してくれる人が増えて、仕事の積み重ねで掛け持ちのアルバイトも減っていき自然と「卵」とは言わなくなっていった。人にほめられたり世話を焼いたりすることがすごく好きなので、「そうそう。これこれ!」と喜んでもらえる絵をこれからも描いていきたい。