京都市左京区にある海鮮居酒屋の「聖護院嵐まる」の店主。釣った魚を提供するという新しいスタイルで注目を集めている。小料理屋で働く母親の姿を見て幼少期から板前を志し、10代で和食の道へ。18歳で沖縄・石垣島のホテルの厨房で働きはじめる。2年間後、関西に帰ろうとフェリーに乗った際、全財産の入った財布がスラれてしまい一文無しに。途方に暮れている所を京都の親戚が助けてくれそのまま京都へ移住。祇園のかに料理店で働きはじめ25歳で料理長に。しかし、バブルの崩壊と共に経営が悪化し28歳で閉店。退職金の代わりとして陶器や備品をもらい、現在のお店をスタートさせる。独立はしたが料理コンセプトがゆるいまま続けたこともありだんだんと借金を抱え、42歳でストレスから大病を患い入院。入院中は、妻や料理人仲間がシフトを調整してお店を回してくれた。1年の闘病の末退院。「人間いつ死ぬかわからない。好きなことをして生きていこう。」と趣味の釣りで自分で釣った魚を提供するようになった。この取り組みが注目を集め、借金も無事完済。お店を守ってもらった恩を忘れず、今後、仲間に何かあったら必ず協力し合っていこうと考えている。